久しぶりの店長スタイル
【Gambert】×【Jamieson’s】
ジャケットスタイル
いかがでしょうか?
ぜひお試しください。
GET THE REATA STYLE !!!
【HISTORY】
歴史的に見るとドレスシャツの起源は、
古代ローマで着用されていたチュニックといわれています。
これは頭から被るようなスリット付きの布切れで、
シーザーや元老院が着ていた衣装のこと言いますが、貴族は丈長、一般は膝丈で、
帯を巻いて着用していました。
後に単純な形式の袖がつき、装飾的なものがあまりないまま中世まで受け継がれました。
ヨーロッパ中世期には、男子の外衣の丈が短くなり、袖口がつめられると、
シャツも短くなり、袖口が細くなりました。
16~17世紀の宮廷中心時代になると、襟の歴史上もっとも特筆すべき装飾的一時代が展開されます。
すなわち首をおおってあごまで達したハイネックともいえる襟に、
ラフ(raff)と呼ばれる車型のひだ襟のついたものがスペイン宮廷に現れ、
シャツの装飾化が貴族階級の間で流行しました。
しかしこの型は食事の時に非常に不便だったため、
後に下あごの部分があいた扇形のものへと変わっていきました。
ドレスシャツの歴史において、
もっとも多種多様な襟が流行したのは19世紀だと言われています。
初頭には大げさな装飾は次第に姿を消し、シャツは簡素化への道を進み始めます。
それは釦が一般的に使用されるようになったからだとも言われています。
このころに背中のヨークの部分も誕生したようです。
また今のような衿(台衿と羽の部分を折ったような形)も
このごろから見られるようです。
19世紀のシャツが今のシャツの原型になってますが、
この進化はヨーロッパからアメリカに舞台を移していったようです。
日本でも戦前のシャツは台衿と羽が取り外し可能でした。
つまり汚れるところ、痛みの激しいところ、
そして仕上げの良し悪しが気になるところだからでしょうか。
この取り外し可能な衿もアメリカで考案されたものと言われています。
そして、このころにアメリカで初めてシャツ工場ができ、
多くの人の手に行き渡るようになったといわれます。
【襟の変化】
立ち襟から折り襟、つまり現在のようなダブルカラーが生まれたことです。
1850年頃にはグラッドストンカラーという立ち襟が流行り、
1854年頃には顔が半分隠れるような極端に高い立ち襟、
オールラウンドカラーが流行しました。
世紀末になって3インチぐらいの常識的な高さに戻り、
その頃からさまざまなカラースタイルが生まれてきました。
代表的なものに、ドッグカラー、スタンドカラー、シェークスピアカラー、
ピカデリーカラー、ダックスカラーなどがあります。
20世紀に入ると、シャツの多様化が著しく進展します。
ボタンダウンやピンホール等のシャツが台頭し、
シャツの種類の大部分は、20世紀以降に誕生しています。
1900年頃 ・・・・・ ボタンダウンシャツ
1920年頃 ・・・・・ クレリックシャツ
1920年代 ・・・・・ ワイドスプレッドカラーシャツ
1930年代 ・・・・・ ロングポイントカラーシャツ
1960年代 ・・・・・ ダンガリーシャツ
1980年頃 ・・・・・ タブカラーシャツ
歴史をさかのぼって行くと、“お客様の声”にたどりつきます。
創業者リーバイ・ストラウスは、
カリフォルニアの金鉱で働く人々の「丈夫なパンツが必要だ」という声を聞いて、
ジーンズの原点となる丈夫なワークパンツを創りあげ、
そのワークパンツを“ジーンズ”へと進化させることに成功しました。
従業員や取引先、社会の声を聞き、変革を行うことで、リーバイス®ブランドの価値を高めてきました。
そして、今後も社会から存続を望まれるブランドであり続けるために変革を続けていきます。
創業者リーバイ・ストラウス、ババリア(現在のドイツ)のバッテンハイムに誕生。
ゴールドラッシュに湧く米国サンフランシスコに、ドイツからの移民としてやってきました。
リーバイ・ストラウス&カンパニーの前身となる雑貨商を開業した彼は、
金鉱で働く人々の声を聞き、キャンバス地を使った丈夫なワークパンツを商品化。
その後、素材はデニムに変更され、色もインディゴ・ブルーが採用されました。
パンツの耐久性を高めるための工夫を重ねていた時、
取引のあった仕立屋のヤコブ・デイビスが、
リベットで補強するというアイデアを思いつきました。
両者は共同で「衣料品のポケットの補強にリベットを使用する方法」に関する特許を取得しました。
この時、ジーンズが誕生しました。
品番統制により、ロットナンバーとして「501」が、初めて商品に付けられました。
これにより、すべてのジーンズの原点501®が誕生しました。
リーバイ・ストラウス、死去。
本拠地であるサンフランシスコに大地震が発生。
本社ビルが倒壊し、工場も大きな被害を受けましたが、迅速な復旧を果たしました。
日本をはじめ、世界各国でツーホースマークが商標登録されました。
衣料業界で初めて、流れ作業による生産を開始。
当時注目を集めていたフォード社のデトロイト工場のシステムを応用したもので、
大量生産が可能になりました。
初の女性向け商品として、快適で働きやすい衣服「フリーダム・オール」を発売。
米国では、この2年後に女性が参政権を獲得しました。
西海岸の大学で、501®ジーンズの流行が始まりました。
丈夫なワークパンツから、ファッション・アイテムへと進化を始めました。
全米で大流行。
第二次世界大戦中に他のブランドは、コストダウンのためにオンス(生地の厚さ)を下げるなかで
唯一LEVI’Sだけが上げました。
名声と品質の高さが、東部の兵士たちにも伝わったためでした。
社会的に不公正な立場に置かれている人々を支援するために、
収益を財源とする「リーバイ・ストラウス財団」を設立しました。
マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンというジーンズの似合うヒーローが登場し、
若者が自己を表現するためのファッションとして人気が高まりました。
ジーンズの世界的大ブームが起こり、アメリカ人だけの服ではなく、世界の若者の服になりました。
他にも、ホワイトジーンズやコーデュロイなどの商品も発売し、いずれもベストセラーとなりました。
1969年、ニューヨーク郊外で「ウッドストック・ミュージック&アートフェア」が開催され、集まった50万人の若者の多くが着用。
ライフスタイル革命やヒッピー文化、ベトナム反戦運動の中で、若者のステータス・シンボルとしての地位を築いていきました。
世界最大規模のアパレルカンパニーに成長。
684や646などラッパ[ベルボトム、ブーツカット]がヒッピー文化でものすごく人気が出ました。
設立から150周年、ジーンズの誕生から130周年を迎えました。
今まで、いろんな型を提案してきてますが、
なんだかんだでやっぱり”501”が代表的なモデルです。
その中からご紹介させていただくのは、
54年と55年モデルです。
54年モデル
55年モデル
本物ジーンズをぜひお試しください。
サイズに限りがありますので、
気になる方はお早めにお越しください。
LEVI’S IS SO COOOL!!!
代々靴製造に携ってきたリオス家が、
1853年にメキシコで創業、1900年代初頭に現在の拠点であるテキサス州メルセデスに移住、
以来テキサスの地でカウボーイ達のためのカウボーイブーツを作り続けてきました。
全てはカウボーイの為に。
現在でもその理念は受け継がれ、
ファッションの為のヤワなブーツではなくカウボーイが満足するタフな道具としてのブーツを、
生産効率や価格よりも機能性を最優先に、
最適な自然素材と100年前と変わらぬ機材を使い熟練の職人により丁寧に手作業で製造しています。
常にカウボーイの言葉に耳を傾け、
改良を重ね続けるリオス社が生み出したダブルウェルトのローパーブーツは、
新たなスタイルとして全米のカウボーイに瞬く間に浸透するほどの影響力と深い信頼関係がそこには存在します。
だからこそ厳しい環境下で実用に耐えうる頑丈な作りとリアルな要望から生まれる機能美は、
一種独特のオーラを放ち、カウボーイならずとも多くの人々を魅了するのでしょう。
WHAT WONDERFUL BOOTS !!!